誕生日だった/今世の目標

先日誕生日を迎えた。家族や友人や職場の人が祝ってくれて嬉しかった。

10代の頃、17歳で交通事故で死ぬのが一番美しい気がして17歳で死にたいと思っていた。16歳から17歳になる夜、部屋で椎名林檎の『17』を聴いた。駅から高校までの徒歩5分に満たない道のりで交通事故に遭うことはなく、自死を選ぶこともなく、17歳から18歳になる夜、同じように椎名林檎の『17』を聴いた。それからずっと余生のような気持ちで生きている。

思えば10代の序盤から人生の通奏低音のように希死観念があり、ずっと苦しかった。どこにいても水が合わない気がして、ここにいるのは自分じゃなくていい気がして、自分という存在は誰にとってもオルタナティブで、いなくても困らない若しくは他の誰かで代用できる程度の存在だと思っていた。今でもそういう気持ちが少なからずあって、だからこそここにいるのが自分でよかったと他の人に思ってもらえるように、少しでも楽しませられるように、自分の存在をプラスに感じてもらえるように、みんなの人生にとって楽しいNPCと思ってもらえるように振る舞ってきた。自分に100%合う水なんてどこにもなくて、みんな多かれ少なかれここじゃないという気持ちを抱えて生きているのかもしれない。そういうふうに気持ちの整理をして生きていくことを「折り合いをつける」というのだろう。

10代の頃は、今よりずっと色んなことに過敏で、色んなことを気にして、色んなことに怒っていた。人と食事をするのが怖くて、生まれて初めて男の子と二人で出かけるとき、ご飯を一緒に食べなくていいよう集合時間を遅らせてもらったのを覚えている。森絵都さんの『永遠の出口』を初めて読んだとき、上手に食べられないのが不安でデートではグラタンしか食べられない話が出てきて心が揺れた。私だけじゃなかった。安心した。肌を出すのもずっと怖くて、制服が夏でも長袖可になってからは真夏でも長袖のシャツで通学していた。高校を卒業して予備校に通っているときも、半袖の服を着る時は必ず長袖のカーディガンを羽織り、スカートの下には真っ黒のストッキングを履いていた。肌を出すのが怖かった。ピンクのものもずっと怖くて、持ち物がピンクにならないように無意識下でそっと避けていた。私服は専ら黒白紺で、二十歳の頃の恋人には「君はもっと明るい色の服を着た方がいいと思うよ」と言われもした。

詰まるところ、女の子的なものが怖かった。具体的にいえば、女の子的なものと自分を結びつけるのが怖かった。

要因は色々あって、小学生の頃私服でスカートを履いていたら友達に笑われたり、中学生のとき初めて友達メイクをしてもらったのを見た父親から吐き捨てるように嫌な言葉を言われたり、他の女の子たちより身長が高かったり、自分より身長が低い女の子から男役のように扱われたり、男の子からでかくてこわいと言われたり、そんな小さなことが積み重なって、「女の子=かわいい」だけど、「自分=かわいくない」なので、「自分=女の子ではない」の三段論法が出来上がってしまい、いわゆる女の子的な言動を取るのが怖かった。自分が女の子みたいな格好をしたり、振る舞いをしたりすると、すごく滑稽に見えるのでは、またバカにされるのではと不安だった。

そういうの全部呪いだったんだな、と今は思う。歳を重ねるにつれ、色んなことが気にならなくなり、人と食事も出来るようになったし、肌が出る服も着られるようになった。自分の服装や言動によって人からどう思われるかは前ほど気にならなくなった気がする。そういう自分の変化を寛容になったと言うべきか鈍感になったと言うべきか今も分からない。でも、随分と楽になった。数年前に体調を崩し、最近社会生活に復帰したのだけれど、一度落ちるところまで落ちたおかげか、長らく私を苦しめてきた希死念慮もすっかり鳴りを顰めている。この数ヶ月は今までの人生で一番穏やかな時間と言えるかもしれない。ずっと陰鬱とした気持ちで生きてきたからか、最近職場の人から明るいと言われ、そういえば私って明るい性格だったなと閃いたような気持ちになり、友人に私って明るい性格だったなって最近思ようになったと言ったら、高校の友達も大学の友達もあなたはずっと明るかったよと言ってくれてそれがすごくうれしかった。

最近高校時代の友人達と会い、子どもを抱いている子もいて、月日の経過を感じた。ワンピースを着て、メイクをして、髪を巻いて行ったのだけれど、友達は装飾具を何も身につけず子どもを抱いて幸福そうに笑っていて眩しかった。彼女達が綺麗に着飾っている頃、私は暗い色の服で肌を隠していて、私が着飾れるようになる頃には彼女達は着飾る必要がないライフステージにいる。自分の人生は周回遅れみたいだと自嘲気味に思ったけれど、それはそれで良いと思える。私は友人の幸福がうれしいし、自分がノースリーブの服を着たり髪を巻いたりできるようになったこともうれしい。自分にはできない、やってはいけないと思っていたことが、やってみたら意外となんてことなくて、そういうのがうれしい。物心両面という言葉があるように、自分の生活や気持ちが整っていないと、周りの人の幸福を素直に受け入れられない。私は好きな人たちの幸福を願える自分でいたいし、そういう自分でいるために、自分のことも少し大切にできたらいい。

この先の人生は自分にかかった呪いを解くことに時間を使いたいなと思う。呪いの中には、自分で自分にかけてしまったものもあれば、人からかけられたものもある。呪いの言葉の輪郭はぼやけてしまったけれど、無意識下に強く刷り込まれているものもある。そういうのと向き合いたい。一つずつ解いていきたい。シャナクを使えるようになる、とまでは言わないけれど、自分にかかった呪いを解けるようになりたい。人にかかった呪いを解く手伝いができるようになりたい。

社会生活を離れていた頃、苦しい気持ちの中で吐き出すように作った短歌が何首かあり、その中に「一度でも割れたガラスは戻らない つぎはぎだらけの心で生きる」という歌があった。その頃の短歌を読むと当時の気持ちを思い出して今でも胸がキュッとなるけれど、最近は元気なおかげか、割れたガラスの寄せ集めでもステンドグラスみたいで綺麗かも〜なんて能天気に思える。そういう変化が私はうれしい。

高校生の頃、東京事変の『タイムカプセル』という曲が好きでよく聴いていた。新しい自分に本当になれるのかな、と不安だった10代の自分と今の自分はどこまでも地続きで、ブランニューなまっさらな自分にはなれないけれど、でも、大丈夫だよって思う。生きてく力は今もあんまりないけど、なんとか生き延びられるし、いい方に変わっていける。だから大丈夫。『タイムカプセル』に出てくる「貴方」って未来の自分のことなのかなってこの日記書いていて唐突に思った。職場の先輩がプレゼントと手紙をくれて、私が新しく迎えた年齢が20代で一番楽しかったですって書いてくれていてうれしかった。好きな人たちがかけてくれる光のような言葉が私を明るい方へ導いてくれる。今も続いてある縁もあれば切れてしまった縁もあって、過去の自分の未熟さを嘆きもするけれど、一瞬でも人生が交差した人たちがかけてくれたキラキラした言葉を忘れずにいたい。「あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても今までしてくれたことを忘れずにいたいよ」なのです。好きな人にひどい言葉を投げかけられたとしても、それはひどい言葉を言われたという経験が増えるだけで、優しい言葉をかけてもらったことが消える訳ではないなと、最近素直にそう思えるようになった。過去に一瞬でも人生が重なった人たちの、今の幸福を祈る。

あとどのくらい生きていられるのか分からないけれど、おいしいものを食べて、好きな本を読んで考えて、毎日明るい気持ちで愉快に生きたいねって、今はそう思う。この日記を読んでくれた人たちの今日と明日が素敵なものになりますように。

愛を込めて