『パイナップルの彼方』を読んだ

 

会社を休職してから1年が経った。

 

1年休んで、体調は随分良くなったものの、私は未だに復職できないでいる。

 

1年前の3月1日、初めて心療内科にかかった日のことはよく覚えている。

2月の末に会社で過呼吸を起こして早退し、そこから会社に行けなくなった。思えば、2020年の終わりから明らかおかしくて、何度も顔に蕁麻疹が出て、休日も出かけられなくて、趣味の本も読めなくなっていた。2021年になってからは、バス停でバスを待っている数分の間でさえ、立っていることができず、うずくまって泣きながらバスを待った。会社の最寄りについてから会社までの数十メートルの距離を、「あそこを走っている車が急カーブして私を跳ね飛ばしてくれたら会社に行かなくていいのにな」と思いながらずるずると歩いた。私の足を動かしていたのは、お客さんに迷惑をかけてはいけないという責任感だった。

3月1日は市内の高校の卒業式だった。バスを降りて病院まで歩く間、胸ポケットにピンクの造花を差してはにかんだ笑顔で自転車をこぐ高校生たちとすれ違った。会社の近くの古びた中華料理屋の前を通り過ぎるとき、店主らしきおじさんと娘らしきこれまたピンクの花を差した女の子が店前で並んで写真をとっていた。こんな晴れの日に、うつ病の女が前を横切ってごめんなさいと思った。診断書をもらって休職することが決まった。キャリアを中断すること、よくわからない薬を飲むこと、全部がつらかった。夜は眠れず、起きている間は泣いてばかりいた。

身の回りのことが何もできなかった。お風呂にも入れず、ご飯もろくに食べられず、夜になったら薬を飲み、朝方にようやく薄い眠りにつき、処方された睡眠薬のせいか昼近くまで眠り、起きても頭に霞がかかったようにぼうっとしていた。好きだった小説も依然読めなかった。

死なないためにアマゾンでポカリスエットを箱で買った。ポカリスエットは甘くて美味しかった。起き上がれる日にはボサボサの髪のまま家の裏のドンキへ行きカロリーメイトを買い込んだ。大塚製薬には本当に助けられた。何もできなくても、これを摂取していれば死なないという安心感は大きかった。

何も食べるものがないとき、隣の家に住む会社の先輩が差し入れてくれたふりかけを舐めて過ごした。おとなのふりかけは美味しい。家が2階でよかったと思った。もっと高い階に住んでいたら、衝動的に飛び降りてしまいそうだった。

休職して数ヶ月が経ち、実家で療養するようになってからは大分マシになった。急に悲しくなって、涙が止まらなくなると、泣き止むまで母が抱きしめてくれた。

会社から遠い土地で、会社のことを思い出さずに過ごせるのがありがたかった。働いていた街では、スーパーへ買い物に行く度に仕事のことを思い出すものが置いてあってつらかった。

しばらくすると、少しずつ本が読めるようになった。子どもの頃から本を読むのが好きで、本を読んでいる間だけはつらい現実のことを忘れていられた。本を読めない期間は、ずっと現実と向き合っていなくてはならず、苦しかった。

何度も自問した。どうしては私は、周りの人と同じように働けないんだろう、人並みのことができないんだろう、親の望むような人生を送れないんだろう、助けようと手を差し伸べてくれた人たちの手を握り返せないんだろう。

休職前から付き合っていた人が、「結婚しよう」と言ってくれた。「心配だからこっちにおいで」と言ってくれた。「仕事やめて俺のところに来るのが一番いいと思う」と言ってくれた。職場から離れた遠い土地で、好きな人をいってらっしゃいと見送って、掃除をして、夕飯を作って、好きな人が帰ってくるのを待つ生活も悪くないと思えた。「落ち着いたらパートでもすればいいよ」と言ってくれた。そうできたらどんなに楽だろう、そうしたいと思ったのに出来なかった。収入がない状態になるのが不安だった。自分の人生を他人に任せられなかった。自分がそういう、人生を左右するような重大な決断を下せる状態にあると思えなかった。

どうしていつもこうなんだろう、私の幸せを望んでくれる人たちの望みどうりにどうしてできないんだろう。ずっと苦しかった。

同い年の友達が、仕事をしながら、結婚したり、子どもを産んだり、そうやって社会と関わって生きているのに、私は会社にも行けなくて、自分の身の回りのこともひとりではできなくて、いい年して親の脛をかじって、何をやっているんだろうと思った。

ずっとずっと苦しかった。この苦しいのも、死ねば全部終わるのにと思った。

 

山本文緒さんの『パイナップルの彼方』は、信用金庫に勤める深文(みふみ)の話だ。

深文は父親のコネで入った信用金庫で事務の仕事をしながら、「結婚したら、必ずオトーサンとオカーサンのそばに住むから」と毎晩頭を下げて手に入れた一人暮らしを謳歌している。友人のなつ美の結婚式に参列しながら、

自由に使える時間とお金を放棄してまで、なつ美が獲得しようとしているものが、私にはまるで分からなかった。この歳になって、やっと親の監視下から抜け出すことができたのだ。結婚なんかする奴は馬鹿だとまでは言わないが、何故そこまで他人に従属したいのか私には理解することができなかった。(11ページ)

と考えるような人物だ。深文は私とよく似ていた。

休職してから、山本文緒さんの小説をよく読むようになった。直木賞受賞作の『プラナリア』もそうだが、山本文緒さんが書く小説には、懸命に生きた末に、世間で言う「普通」からはみ出してしまった人がたくさん出てくる。彼らは「普通」に生きようとして、でも「普通」から外れてしまって、そんな自分の運命を嘆きつつも、どうにか前を向いて生きようとする。山本文緒さんのを「普通」から外れてしまった人たちに対する温かいまなざしが好きだ。

この一年ずっと自分を責めてきた。「普通」に働けない自分、「普通」に生きられない自分。でも、『パイナップルの彼方』を読んで、仕方がないのだと思った。地元の高校に進学することも、実家から通える大学に進学することも、地元で就職して親の近くで暮らすことも、仕事をやめて結婚し自分の人生を他人に委ねることも、全部受け入れられなかったけど、そういう自分をダメだと思っていたけど、仕方がないのだ。そういう性分に私は生まれてしまったのだ。だから仕方がないのだ。

こういう性分だから、世間一般が思い描くような「幸せ」には縁がないかもしれない。誰かと結婚して、子どもを産んで、穏やかに暮らすことはできないかもしれない。それでも仕方ないんだ。そういうふうにしか生きられないから。冷たい水の中をふるえながらのぼってゆく人生だと腹を括って進むしかない。

 

『パイナップルの彼方』には、令和4年の改訂にあたり作家の綾瀬まるさんの解説が寄せられている。

 「逃げたい」と「逃げない」の相克は、実は山本文緒さんの作品で繰り返し描かれる。「逃げる」ことは眩しく蠱惑的に描かれ、その概念を体現するような人物も登場する。(中略)

 彼らに誘惑されながらも、「逃げたくない」と多くの登場人物たちが奥歯を食いしばる。現実との、血のにじむような戦いを始める。なぜか。自分と他者を愛したたま、幸福になりたいからだ。誰かを踏みつけにする以外の方法で、生きていきたいと切実に願っているからだ。

 

俵万智さんの短歌集『サラダ記念日』が大好きで、それは国語の教科書でしか彼女の短歌に触れたことがなかった私の「恋愛偏重な作家さん」というイメージを彼女の歌集が鮮やかに打ち砕いてくれたからに他ならない。『サラダ記念日』には、恋人との恋愛模様や、父親からの不器用な愛情など、たくさんの愛の短歌が収められているが、最後は以下の歌で終わる。

愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人

 

人生が本質的に孤独であると理解している人たちの書く言葉が好きだ。人生は孤独であるから、人はひとりであるから、だからこそ、人と人との交流はかけがえがない。そう理解している人たちが描く、人と人との交流は、不器用でも温かい。

 

山本文緒さん、小説を書いてくれてありがとうございました。たくさんの言葉を遺してくれてありがとうございました。安らかにお眠りください。