誕生日だった/今世の目標

先日誕生日を迎えた。家族や友人や職場の人が祝ってくれて嬉しかった。

10代の頃、17歳で交通事故で死ぬのが一番美しい気がして17歳で死にたいと思っていた。16歳から17歳になる夜、部屋で椎名林檎の『17』を聴いた。駅から高校までの徒歩5分に満たない道のりで交通事故に遭うことはなく、自死を選ぶこともなく、17歳から18歳になる夜、同じように椎名林檎の『17』を聴いた。それからずっと余生のような気持ちで生きている。

思えば10代の序盤から人生の通奏低音のように希死観念があり、ずっと苦しかった。どこにいても水が合わない気がして、ここにいるのは自分じゃなくていい気がして、自分という存在は誰にとってもオルタナティブで、いなくても困らない若しくは他の誰かで代用できる程度の存在だと思っていた。今でもそういう気持ちが少なからずあって、だからこそここにいるのが自分でよかったと他の人に思ってもらえるように、少しでも楽しませられるように、自分の存在をプラスに感じてもらえるように、みんなの人生にとって楽しいNPCと思ってもらえるように振る舞ってきた。自分に100%合う水なんてどこにもなくて、みんな多かれ少なかれここじゃないという気持ちを抱えて生きているのかもしれない。そういうふうに気持ちの整理をして生きていくことを「折り合いをつける」というのだろう。

10代の頃は、今よりずっと色んなことに過敏で、色んなことを気にして、色んなことに怒っていた。人と食事をするのが怖くて、生まれて初めて男の子と二人で出かけるとき、ご飯を一緒に食べなくていいよう集合時間を遅らせてもらったのを覚えている。森絵都さんの『永遠の出口』を初めて読んだとき、上手に食べられないのが不安でデートではグラタンしか食べられない話が出てきて心が揺れた。私だけじゃなかった。安心した。肌を出すのもずっと怖くて、制服が夏でも長袖可になってからは真夏でも長袖のシャツで通学していた。高校を卒業して予備校に通っているときも、半袖の服を着る時は必ず長袖のカーディガンを羽織り、スカートの下には真っ黒のストッキングを履いていた。肌を出すのが怖かった。ピンクのものもずっと怖くて、持ち物がピンクにならないように無意識下でそっと避けていた。私服は専ら黒白紺で、二十歳の頃の恋人には「君はもっと明るい色の服を着た方がいいと思うよ」と言われもした。

詰まるところ、女の子的なものが怖かった。具体的にいえば、女の子的なものと自分を結びつけるのが怖かった。

要因は色々あって、小学生の頃私服でスカートを履いていたら友達に笑われたり、中学生のとき初めて友達メイクをしてもらったのを見た父親から吐き捨てるように嫌な言葉を言われたり、他の女の子たちより身長が高かったり、自分より身長が低い女の子から男役のように扱われたり、男の子からでかくてこわいと言われたり、そんな小さなことが積み重なって、「女の子=かわいい」だけど、「自分=かわいくない」なので、「自分=女の子ではない」の三段論法が出来上がってしまい、いわゆる女の子的な言動を取るのが怖かった。自分が女の子みたいな格好をしたり、振る舞いをしたりすると、すごく滑稽に見えるのでは、またバカにされるのではと不安だった。

そういうの全部呪いだったんだな、と今は思う。歳を重ねるにつれ、色んなことが気にならなくなり、人と食事も出来るようになったし、肌が出る服も着られるようになった。自分の服装や言動によって人からどう思われるかは前ほど気にならなくなった気がする。そういう自分の変化を寛容になったと言うべきか鈍感になったと言うべきか今も分からない。でも、随分と楽になった。数年前に体調を崩し、最近社会生活に復帰したのだけれど、一度落ちるところまで落ちたおかげか、長らく私を苦しめてきた希死念慮もすっかり鳴りを顰めている。この数ヶ月は今までの人生で一番穏やかな時間と言えるかもしれない。ずっと陰鬱とした気持ちで生きてきたからか、最近職場の人から明るいと言われ、そういえば私って明るい性格だったなと閃いたような気持ちになり、友人に私って明るい性格だったなって最近思ようになったと言ったら、高校の友達も大学の友達もあなたはずっと明るかったよと言ってくれてそれがすごくうれしかった。

最近高校時代の友人達と会い、子どもを抱いている子もいて、月日の経過を感じた。ワンピースを着て、メイクをして、髪を巻いて行ったのだけれど、友達は装飾具を何も身につけず子どもを抱いて幸福そうに笑っていて眩しかった。彼女達が綺麗に着飾っている頃、私は暗い色の服で肌を隠していて、私が着飾れるようになる頃には彼女達は着飾る必要がないライフステージにいる。自分の人生は周回遅れみたいだと自嘲気味に思ったけれど、それはそれで良いと思える。私は友人の幸福がうれしいし、自分がノースリーブの服を着たり髪を巻いたりできるようになったこともうれしい。自分にはできない、やってはいけないと思っていたことが、やってみたら意外となんてことなくて、そういうのがうれしい。物心両面という言葉があるように、自分の生活や気持ちが整っていないと、周りの人の幸福を素直に受け入れられない。私は好きな人たちの幸福を願える自分でいたいし、そういう自分でいるために、自分のことも少し大切にできたらいい。

この先の人生は自分にかかった呪いを解くことに時間を使いたいなと思う。呪いの中には、自分で自分にかけてしまったものもあれば、人からかけられたものもある。呪いの言葉の輪郭はぼやけてしまったけれど、無意識下に強く刷り込まれているものもある。そういうのと向き合いたい。一つずつ解いていきたい。シャナクを使えるようになる、とまでは言わないけれど、自分にかかった呪いを解けるようになりたい。人にかかった呪いを解く手伝いができるようになりたい。

社会生活を離れていた頃、苦しい気持ちの中で吐き出すように作った短歌が何首かあり、その中に「一度でも割れたガラスは戻らない つぎはぎだらけの心で生きる」という歌があった。その頃の短歌を読むと当時の気持ちを思い出して今でも胸がキュッとなるけれど、最近は元気なおかげか、割れたガラスの寄せ集めでもステンドグラスみたいで綺麗かも〜なんて能天気に思える。そういう変化が私はうれしい。

高校生の頃、東京事変の『タイムカプセル』という曲が好きでよく聴いていた。新しい自分に本当になれるのかな、と不安だった10代の自分と今の自分はどこまでも地続きで、ブランニューなまっさらな自分にはなれないけれど、でも、大丈夫だよって思う。生きてく力は今もあんまりないけど、なんとか生き延びられるし、いい方に変わっていける。だから大丈夫。『タイムカプセル』に出てくる「貴方」って未来の自分のことなのかなってこの日記書いていて唐突に思った。職場の先輩がプレゼントと手紙をくれて、私が新しく迎えた年齢が20代で一番楽しかったですって書いてくれていてうれしかった。好きな人たちがかけてくれる光のような言葉が私を明るい方へ導いてくれる。今も続いてある縁もあれば切れてしまった縁もあって、過去の自分の未熟さを嘆きもするけれど、一瞬でも人生が交差した人たちがかけてくれたキラキラした言葉を忘れずにいたい。「あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても今までしてくれたことを忘れずにいたいよ」なのです。好きな人にひどい言葉を投げかけられたとしても、それはひどい言葉を言われたという経験が増えるだけで、優しい言葉をかけてもらったことが消える訳ではないなと、最近素直にそう思えるようになった。過去に一瞬でも人生が重なった人たちの、今の幸福を祈る。

あとどのくらい生きていられるのか分からないけれど、おいしいものを食べて、好きな本を読んで考えて、毎日明るい気持ちで愉快に生きたいねって、今はそう思う。この日記を読んでくれた人たちの今日と明日が素敵なものになりますように。

愛を込めて

『いい子のあくび』を読んだ

初めて読んだ高瀬隼子さんの小説は『水たまりで息をする』だった。衝撃だった。小川を流れる澄んだ水のように静かで心地よい手触りの文章なのに、終始漂う不穏な雰囲気。終盤の展開、圧倒的なカタルシス。なんとも名状し難い読後感で強く印象に残る作家さんだった。

『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞され、読んでみると、私の心は完全に掴まれた。デビュー作の『犬のかたちをしているもの』も読んだ。好きだった。大好きだ。

昨年8月に『おいしいごはんが食べられますように』を読んで以来、ふとした瞬間に『おいしいごはんが食べられますように』のことを思い出し、考え、捉えられている。この感情を何とか咀嚼しようとはしてみるものの、未だ完全には飲み込めず、消化もできないまま引っかかっている。

そうしているうちに、高瀬隼子さんの新作が出た。

 

数年前とあるコンテンツにハマっていた頃、ポップアップストアやコラボカフェにも一人で行くほど入れ込んでいたが、アニメだけは全話見られなかった。普段4コマ漫画で描かれるキャラクターたちが話し、動く姿を見られるのは楽しみだったし、実際最初の数話は楽しく観た。しかし、物語が終盤に近づくにつれ、各話放送後のTwitterでは「百合」という感想が多く見られるようになった。私は主要な二人のキャラクターの関係性が好きだけれど、二人の関係を「百合」だとは思えず、周囲との温度差に勝手に疲れて、自分が好きな範囲だけで好きでいればいいやと思って見るのをやめてしまった。

二人は確かに好きあっている。だけどそれは本当に恋愛における文脈での「好き」なのだろうか。二人の間には愛情も友情も憧憬も依存も独占欲もあって、思春期の「私にとってこの人は特別で、この人にとっても私は特別である」というある種の無敵感から来る破天荒な行動とはちゃめちゃな世界観が好きなので、「好き」のエッセンスだけ取り出して、恋愛の文脈に押し込めて百合だと言って消費したくなかった。

毎日生きているだけで色々な情報や感情が流れ込んできて疲れてしまう。そんな生活の中でよりシンプルでより純粋なものを求めてしまうのは理解できる。それでもやっぱり、愛情も好感も憧憬も憐憫も執着も情念も全部全部違う感情だから、そのままそれとして扱いたい。違う感情なのに、今の世の中ではただの矢印になってしまうのが私は嫌なのだ。

 

高瀬隼子さんは、不純な感情を不純なまま書いてくれる作家さんだ。

『いい子のあくび』に登場する直子は、避けないことを決めた。歩きスマホで直進してくる人間を、直子を認めてその容貌から避けなくていいと判断した男たちを、避けないと決めた。そしてぶつかる、痛がってみせる、謝罪を求める、そうして少し取り戻した気持ちになる。彼女が人より気がつく人間だからこそ払わなければならない注意を、女性だから当然だと求められる気遣いや不条理を、それらを均して、損なわれた何かを取り戻した気持ちになる。会社や恋人といるときの彼女は品行方正で「いい子」だ。彼女は自分の二面性についても理解しており、大学からの友人の前でだけ露悪的に振る舞ってみせる。

私だ、と思った。

むやみやたらと人を傷つけたい訳ではない。「いい子」でいることだって自分で選択している。自分は根っからの善人ではない、そんなことは分かっていて、だからこそ善くあろうとしている。周囲との摩擦を生まないように、自分で自分を許せるように、善いと思える行動をする。誰かからの見返りが欲しい訳でもない。自分の行動に納得したいだけだ。でもたまに疲れる。疲れていっぱいいっぱいのときに思う。なんでだよ、おかしいだろ、私が人より少しだけ擦り減るのを当たり前みたいな顔して享受してんじゃねーよって。たまに思う。いつまで譲ればいいんだろう、なんで私が譲るのが当たり前だと思ってるんだろう、たまにはあなたが譲るべきでは?そう思ってしまう。そんなふうに思うなら「いい子」をやめればいいって自分でも分かっている。でもできない。「いい子」でいることはすっかり骨身に染みていて、簡単には抜けない癖になっている。

職場に苦手な人がいて、話しているときは楽しくて、いい子だと思うのに、話していないときはこの人のこと嫌いだなあとずっと思っている。その人の言動の一つ一つが私の心に引っかかっていて、なぜ引っかかりを覚えるのか、どうして不快に感じるのか、自分の感情を細分化して、悪感情を抱くことに正当性があるのか、悪感情を抱く原因は彼女の領域にあるのか、自分の領域にあるのかをずっと考えている。でも話すと悪い子じゃないな、この人の言動に悪意はないな、と思う。なのに話していないときは言われた言葉や取られた行動を思い出してはああ嫌だな、と思う。割り切れない。心の中で嫌だと思うことと、それを態度で表明することは全く別の階層にあると思っているので、感情が彼女に伝わらないかいつもヒヤヒヤしている。そうしてかえって優しく接してしまって、彼女の言動は私が苦手な方向に振れ、苦手だなあという気持ちをより一層深めてしまう。悪循環だ。

『おいしいごはんが食べられますように』のキャラクターたちもこういう気持ちだったのかもしれないと思った。付き合うし、褒めるし、結婚の話も切り出すけど、イラつくし、内心馬鹿にしているし、傷付けばいいと思っている。ぐちゃぐちゃで、ぐちゃぐちゃなのに、離れられない。「好き」という言葉だけで思いを表現するには、愛も憎もあまりにも近いところにあって、誰かが誰かを思うときに、純度100%でいることはきっととても難しい。どうしたって不純な感情が混じってしまって、名状しがたくて、どうしようもなくて、ぐちゃぐちゃで、そういう感情の有り様がとてもリアルで、高瀬隼子さんの小説が好きだと思う。

高瀬隼子さんの小説の世界では、不純な気持ちを抱いていることが当たり前として書かれている。登場人物たちは極めて真っ当な倫理観を持っているので、それに伴う葛藤は各々もちろんあるのだけれど、ぐちゃぐちゃをぐちゃぐちゃとして書くことで、それでいいんだよと、高瀬隼子さんから許されている気持ちになる。純粋にはなれない。いい人ではない。心の中のぐちゃぐちゃを押し込めて、いい人のふりして生きる自分を少しだけ認めてあげられるような気がする。だから高瀬隼子さんの小説が好きだ。

自分の性分に抗いながら、少しでも健やかに生きられますように。明日からも生き延びられますように。

 

 

『パイナップルの彼方』を読んだ

 

会社を休職してから1年が経った。

 

1年休んで、体調は随分良くなったものの、私は未だに復職できないでいる。

 

1年前の3月1日、初めて心療内科にかかった日のことはよく覚えている。

2月の末に会社で過呼吸を起こして早退し、そこから会社に行けなくなった。思えば、2020年の終わりから明らかおかしくて、何度も顔に蕁麻疹が出て、休日も出かけられなくて、趣味の本も読めなくなっていた。2021年になってからは、バス停でバスを待っている数分の間でさえ、立っていることができず、うずくまって泣きながらバスを待った。会社の最寄りについてから会社までの数十メートルの距離を、「あそこを走っている車が急カーブして私を跳ね飛ばしてくれたら会社に行かなくていいのにな」と思いながらずるずると歩いた。私の足を動かしていたのは、お客さんに迷惑をかけてはいけないという責任感だった。

3月1日は市内の高校の卒業式だった。バスを降りて病院まで歩く間、胸ポケットにピンクの造花を差してはにかんだ笑顔で自転車をこぐ高校生たちとすれ違った。会社の近くの古びた中華料理屋の前を通り過ぎるとき、店主らしきおじさんと娘らしきこれまたピンクの花を差した女の子が店前で並んで写真をとっていた。こんな晴れの日に、うつ病の女が前を横切ってごめんなさいと思った。診断書をもらって休職することが決まった。キャリアを中断すること、よくわからない薬を飲むこと、全部がつらかった。夜は眠れず、起きている間は泣いてばかりいた。

身の回りのことが何もできなかった。お風呂にも入れず、ご飯もろくに食べられず、夜になったら薬を飲み、朝方にようやく薄い眠りにつき、処方された睡眠薬のせいか昼近くまで眠り、起きても頭に霞がかかったようにぼうっとしていた。好きだった小説も依然読めなかった。

死なないためにアマゾンでポカリスエットを箱で買った。ポカリスエットは甘くて美味しかった。起き上がれる日にはボサボサの髪のまま家の裏のドンキへ行きカロリーメイトを買い込んだ。大塚製薬には本当に助けられた。何もできなくても、これを摂取していれば死なないという安心感は大きかった。

何も食べるものがないとき、隣の家に住む会社の先輩が差し入れてくれたふりかけを舐めて過ごした。おとなのふりかけは美味しい。家が2階でよかったと思った。もっと高い階に住んでいたら、衝動的に飛び降りてしまいそうだった。

休職して数ヶ月が経ち、実家で療養するようになってからは大分マシになった。急に悲しくなって、涙が止まらなくなると、泣き止むまで母が抱きしめてくれた。

会社から遠い土地で、会社のことを思い出さずに過ごせるのがありがたかった。働いていた街では、スーパーへ買い物に行く度に仕事のことを思い出すものが置いてあってつらかった。

しばらくすると、少しずつ本が読めるようになった。子どもの頃から本を読むのが好きで、本を読んでいる間だけはつらい現実のことを忘れていられた。本を読めない期間は、ずっと現実と向き合っていなくてはならず、苦しかった。

何度も自問した。どうしては私は、周りの人と同じように働けないんだろう、人並みのことができないんだろう、親の望むような人生を送れないんだろう、助けようと手を差し伸べてくれた人たちの手を握り返せないんだろう。

休職前から付き合っていた人が、「結婚しよう」と言ってくれた。「心配だからこっちにおいで」と言ってくれた。「仕事やめて俺のところに来るのが一番いいと思う」と言ってくれた。職場から離れた遠い土地で、好きな人をいってらっしゃいと見送って、掃除をして、夕飯を作って、好きな人が帰ってくるのを待つ生活も悪くないと思えた。「落ち着いたらパートでもすればいいよ」と言ってくれた。そうできたらどんなに楽だろう、そうしたいと思ったのに出来なかった。収入がない状態になるのが不安だった。自分の人生を他人に任せられなかった。自分がそういう、人生を左右するような重大な決断を下せる状態にあると思えなかった。

どうしていつもこうなんだろう、私の幸せを望んでくれる人たちの望みどうりにどうしてできないんだろう。ずっと苦しかった。

同い年の友達が、仕事をしながら、結婚したり、子どもを産んだり、そうやって社会と関わって生きているのに、私は会社にも行けなくて、自分の身の回りのこともひとりではできなくて、いい年して親の脛をかじって、何をやっているんだろうと思った。

ずっとずっと苦しかった。この苦しいのも、死ねば全部終わるのにと思った。

 

山本文緒さんの『パイナップルの彼方』は、信用金庫に勤める深文(みふみ)の話だ。

深文は父親のコネで入った信用金庫で事務の仕事をしながら、「結婚したら、必ずオトーサンとオカーサンのそばに住むから」と毎晩頭を下げて手に入れた一人暮らしを謳歌している。友人のなつ美の結婚式に参列しながら、

自由に使える時間とお金を放棄してまで、なつ美が獲得しようとしているものが、私にはまるで分からなかった。この歳になって、やっと親の監視下から抜け出すことができたのだ。結婚なんかする奴は馬鹿だとまでは言わないが、何故そこまで他人に従属したいのか私には理解することができなかった。(11ページ)

と考えるような人物だ。深文は私とよく似ていた。

休職してから、山本文緒さんの小説をよく読むようになった。直木賞受賞作の『プラナリア』もそうだが、山本文緒さんが書く小説には、懸命に生きた末に、世間で言う「普通」からはみ出してしまった人がたくさん出てくる。彼らは「普通」に生きようとして、でも「普通」から外れてしまって、そんな自分の運命を嘆きつつも、どうにか前を向いて生きようとする。山本文緒さんのを「普通」から外れてしまった人たちに対する温かいまなざしが好きだ。

この一年ずっと自分を責めてきた。「普通」に働けない自分、「普通」に生きられない自分。でも、『パイナップルの彼方』を読んで、仕方がないのだと思った。地元の高校に進学することも、実家から通える大学に進学することも、地元で就職して親の近くで暮らすことも、仕事をやめて結婚し自分の人生を他人に委ねることも、全部受け入れられなかったけど、そういう自分をダメだと思っていたけど、仕方がないのだ。そういう性分に私は生まれてしまったのだ。だから仕方がないのだ。

こういう性分だから、世間一般が思い描くような「幸せ」には縁がないかもしれない。誰かと結婚して、子どもを産んで、穏やかに暮らすことはできないかもしれない。それでも仕方ないんだ。そういうふうにしか生きられないから。冷たい水の中をふるえながらのぼってゆく人生だと腹を括って進むしかない。

 

『パイナップルの彼方』には、令和4年の改訂にあたり作家の綾瀬まるさんの解説が寄せられている。

 「逃げたい」と「逃げない」の相克は、実は山本文緒さんの作品で繰り返し描かれる。「逃げる」ことは眩しく蠱惑的に描かれ、その概念を体現するような人物も登場する。(中略)

 彼らに誘惑されながらも、「逃げたくない」と多くの登場人物たちが奥歯を食いしばる。現実との、血のにじむような戦いを始める。なぜか。自分と他者を愛したたま、幸福になりたいからだ。誰かを踏みつけにする以外の方法で、生きていきたいと切実に願っているからだ。

 

俵万智さんの短歌集『サラダ記念日』が大好きで、それは国語の教科書でしか彼女の短歌に触れたことがなかった私の「恋愛偏重な作家さん」というイメージを彼女の歌集が鮮やかに打ち砕いてくれたからに他ならない。『サラダ記念日』には、恋人との恋愛模様や、父親からの不器用な愛情など、たくさんの愛の短歌が収められているが、最後は以下の歌で終わる。

愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人

 

人生が本質的に孤独であると理解している人たちの書く言葉が好きだ。人生は孤独であるから、人はひとりであるから、だからこそ、人と人との交流はかけがえがない。そう理解している人たちが描く、人と人との交流は、不器用でも温かい。

 

山本文緒さん、小説を書いてくれてありがとうございました。たくさんの言葉を遺してくれてありがとうございました。安らかにお眠りください。

 

 

 

葬列

祖母の訃報が届いたのは8月10日の11時頃だった。

その日は山の日で、月曜日だけど仕事が休みだったため、家でごろごろしていた。

祖母の容態が悪いことは母から聞いていた。大柄で、甘いものが好きだった祖母は体格が良かったが、お見舞いに行く度に体が一回りずつ小さくなっていることに気づいていた。これで会えるのは最後かもしれないと何度も思った。そしてそれが現実になった。

享年80歳。81歳の誕生日まであと1週間だった。

 

喪服は高校を卒業したときに母が買ってくれた。それから6年間、幸いなことに喪服の出番はなかった。

今年の5月、母方の祖父が他界した際に初めて袖を通した。その後クリーニングに出して吊るしておいた喪服の、2度目の出番がこんなに早く来るとは思わなかった。

急いでシャワーを浴び、飛行機を取り、荷物をまとめて家を出た。13時過ぎに家を出て19時に福岡空港に着いた。普段は何かと理由をつけて帰省を避けているのに、その気になれば茨城から福岡まで6時間で着くのかと不思議な気持ちがした。

お盆の時期なので人が多いかと思ったけれど空港は混んでいなかった。こんなご時世なので当然かもしれない。それでもスーツケースを引いて旅行へ行くのだろうと思われる人たちもいて、私も他の人から見たら「こんなときに旅行/帰省するひと」に見えるのかなとぼんやり思った。19年一緒に住んだ祖母の葬儀は不要不急じゃないよね、と心の中で確認して、そんなことを考えている自分がすこしかなしかった。

 

葬儀は家族葬だったので、弔問客も多くはなく、恙無く終わった。

泣いているところを1度か2度しか見たことのない父が泣いていた。父方の祖父は私が高校2年生のときに亡くなっているので、これで父は両親を喪ったことになる。

父、母、兄、祖父、祖母、私の6人で暮らしていた家に、これから父と母のふたりで暮らしていくことになる。兄も私も実家へ戻ろうとは思わないだろう。記憶よりも随分と汚れ、あちこちにガタが来ている家に帰る度、自分の親不孝を感じる。父と母の暮らしをかなしみはしても自分の人生を犠牲にしようとは思えない。家に帰ると息が詰まる。私は私という個人ではなく、彼らの娘という役割を生きねばならなくなる。それがどうしても私にはできない。

 

小学生の頃、夏休みには祖母の部屋に入り浸っていた。父、母、祖父は仕事で不在にしており、兄はソフトボールの練習に出ていた。家の中には祖母と私の二人で、畳に寝転んでゲームをする私のために祖母はいつもクーラーを入れてくれた。

祖母と母は仲が良くなく、祖母の部屋に私が居るのを母は嫌がった。母の車の音が聞こえると祖母の部屋から逃げるように出ていた。祖母はそんな私を毎日どんな気持ちで部屋へ入れてくれていたのだろう。

クーラーで冷えた部屋、井草のかおり、部屋のすみに正座をしてテレビを観ている祖母。

 

祖母の法名には「夏雲」という文字が入っている。夏に生まれ夏に逝ったからだ。

これから夏が来て、青い空に浮かぶ入道雲を見るたびに、私は祖母を思い出すのだろうか。火葬場の外に広がる空と雲を目にしたとき、そんなことを思った。

 

『少女邂逅』を観た

 

外はすっかり春の陽気で、数週間ぶりの洗濯日和の土曜日だった。

カモミールクッキーが焼けるまでの12分を待つために、何となく選んだ『少女邂逅』。面白かったし、映像も綺麗で、よかったのだけれど、あまりにも救いがなくてしんどくなってしまった。

主人公の小原ミユリはいじめられていて、その気弱な性格からリストカットをすることさえできないでいる。蚕に「ツムギ」と名前をつけ、「君は私が困ったら助けてくれるよね」と話しかけながら大切に飼っている。ある日いつものようにいじめられっ子から連れて行かれた林で、蚕のツムギを捨てられてしまう。その日ミユリを助けてくれたのは知らない女の子で、翌日転校生としてミユリの高校へやってくる。「東京から来ました。冨田紬です」。ミユリと紬は次第に近づいていき、紬によって外見を変えてもらったミユリはクラスメイトにも受け入れられていく。紬とミユリは親密さを増し、二人きりで沖縄に行く内緒の約束をして計画を立てる。決行の日、学校を休んで電車に乗るが、乗換駅で電車を待っている最中、紬が寝入ってしまった時にミユリは一人引き返す。夜に紬が目覚めるとミユリの姿はなく、高校の先生達と父親が駅にやってきて紬を連れ帰る。ミユリと紬はこの日を境に疎遠になっていき、ミユリは東京の大学に合格して町をでることになる。東京行きの電車を待つ駅のホームで元いじめっ子のクラスメイトから紬が死んだこと、父親から性的虐待を受けていたこと、売春して沖縄行きのお金を貯めていたことを告げられる。東京へ向かう電車の中、ミユリは手首を切り、手首から溢れてくる血、目に涙を溜めていくミユリのシーンで映画が終わる。

 

救いがなさすぎて泣いてしまった。

ミユリにとって紬は、オシャレで賢くクラスの人気者で、自由で綺麗で強い存在で、自分とは正反対の存在だった。どこか捉えどころがなく、気ままで、だから憧れるし惹かれる。そんな存在から救われ、友達もできて、ミユリの世界は広がっていった。ミユリにとっては本当に、紬は神様みたいな存在だったんだと思う。なのにミユリは紬の手を離して、「普通」の人生を歩んでいく選択をする。そして、神様だと思っていた紬が、実際はただの傷ついた女の子で、世界から逃げ出したかったのは紬の方だったと知る。

まっっっったく救いがない。自分を救ってくれた人にとどめを刺したのは自分だって、そんなの信じたくない。ミユリがしあわせに生きるためには、どこか危うげな紬と逃げるのではなく、地に足をつけて地道に生きるしかなかったんだよね。ミユリは自分の足で立って生きていける力があって、紬のおかげでそれに気づくことができて、ミユリは東京に行くことで狭いと思っていた町を抜け出せるけれど、紬の出来事は一生付いて回るんじゃないかな。自分には紬さえいればいいと思っていたのに、本当はそんなことなくて、自分は一人で歩いていける人間で、自分のために自分を救ってくれた人を裏切ることができる冷たい人間なんだって、そのことにミユリは気づいてしまった。SOSを発するためのリストカットさえできなかった弱いミユリはもういないけれど、リストカットできるようになったことを果たして強さと呼べるのだろうか。狭い世界を抜け出して広い世界に行くことができても、自分が自分である現実は変わらない。住む場所を選べても決して世界があなたを変えてくれるわけではない。

ミユリが紬に「どうして私を助けてくれたの?」って訊くシーンがあって、ミユリから見た紬のイメージを伝えていくんだけど、紬は「その逆」ってバッサリ切るんだよね。「昔の私に似てたから」って紬は言うけど、紬は誰にも助けを求められていない。紬はミユリを助けたけれど、助けが欲しかったのも、逃げたかったのも、紬なんだよね。この人は私を裏切らないっていうたった一人の人が欲しかったんだよね。

おおばやしみゆき先生の『きらきら☆迷宮』に「本当の友達よ 世界中が敵に回っても 必ず味方になるような」「他人が何? そんな人達にはひとかけらも好かれなくていいのよ……何人傷つこうが死のうが構わないわよ そうよ!世界中の人を殺しても あなたが手に入るなら…それでよかったのに…」という台詞があり、幼少期にこれを読んで友人観に多大な影響を受けたんだけど、紬が欲しかったのもきっとこういう関係だったんだよね。

思春期の頃、同性の友達に対して友情とも恋情とも取れるような、憧れと親愛と束縛心が入り乱れた感情を持ったことがある人は多いと思う。友達探しは恋人探しと似ていて、自分のことを選んでくれるたった一人のことを探していた。その人さえいれば他に何もいらなくて、二人でいればなんだって出来るような気持ちになれて、二人だけで世界が満ち足りるような関係。たった一人の人の、たった一人の人になりたかった。

なんだか悲しいね、憧れすぎるとうまくいかないのかな、近づきすぎるとダメなのかな、同性の友達、少しでも憧れが入ると途端に距離感が難しくなる。今はもう大人なので、好きな人を遠くから好きなままでいることができるようになったけれど、若い頃はそれができなくて、関係が変になってしまったこともままあって、性別関係なく、好きな人に同じように好きになってもらうことは難しいんだと思った。

 

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少女邂逅』のポスターに、「君だけでよかった。君だけがよかった。」というキャッチがついていて、映画を観終えて初めてこれが紬の言葉でもあることを知る。

紬は昔の自分に似てたからミユリを助けたって言ってたけれど、one of themじゃなくて誰かのたった一人になりたかったから、あえて孤独なミユリを選んだのかもしれない。 

個人的につらかったもう一つのことは、ミユリがクラスに友達ができた一番大きな理由が「イメチェンしたミユリが可愛かったから」であること。映画の途中で紬が「体にしか価値ないじゃん」と言うシーンがあって、父親から性的虐待を受けたり自分の体を買おうとする男が簡単に見つかったり、そういう出来事で紬は恐らく自分の内面に興味がある人はいない、体にだけ価値があるって価値観を内面化してしまったんだろうけど、異性からの価値判断される基準が「(若い)女であること」=身体面なのに加えて同性からの価値基準も「かわいいこと」=外面なの相当しんどいんじゃないだろうか。終盤で紬が、絹を綺麗に取るために繭となった後は生きたままお湯に入れられ、成虫しても木にとまることができず、口もないため2日で死んでしまう蚕に自分を重ねているの、かなりしんどい。そんなことないんだよって、体にしか価値がないなんてそんなこと言わないでって、紬に言ってあげる人は誰一人いない。

 

紬がいなければミユリは町を抜け出せなかっただろうし、ミユリがいなければ紬は死ななかったかもしれない。

でも、二人の間に楽しい時間があったことも真実で、二人が出会わなければよかったのに、なんて言えない。ミユリが紬に救われたように、紬のこともミユリが救えたらよかったのに。どうして世界はうまくできていないんだろう。

 

二人の出会いを手放しで喜ぶこともできないけれど、二人が出会わなければと願うこともできない。二人の少女は確かに出会って、同じ時間を過ごした。

誰が救われたのか、誰も救われなかったのか、わたしには分からない。つらくて綺麗な映画でした。

 

『蜜蜂と遠雷』を観た

 

映画『蜜蜂と遠雷』を観た。恩田陸原作の小説が松岡茉優さん主演で映画化されたもの。

 

一言で感想を言うならば「解釈違い」だった。

 

私にとっての『蜜蜂と遠雷』は、かつて天才ピアノ少女だった栄伝亜夜が母の死を契機にピアノから遠ざかるものの、周囲の人々、とりわけ同じコンクールに出演した同世代の天才たちとの交流を経て、一度閉じてしまった世界を再び開いていく物語だった。

原作では語り部となる人物が転々と変わっていくが、あくまでも本筋は他者との交流によって亜夜の内面が(同時に亜夜の演奏するピアノも)変化していく様子だと私は読んでいて、けれど映画は音楽と世界との繋がりにフォーカスされていたように思う。

確かに原作でも「世界は音に溢れている」といった表現があるし、冒頭も亜夜の「雨音が屋根を叩く音がギャロップが駆ける音のように聞こえる」シーンだった気がする。「世界は音に溢れている」は『蜜蜂と遠雷』のテーマの1つではあるのだろう。「亜夜という人間が開いていく過程」か「世界と音楽との繋がり」か、どちらに主眼を置くかの違いであってどちらかが間違っているとかそういうことを言いたいわけではない。ただ鑑賞中はずっと「映像にすることで描写されるもの」と「映像にするために捨象されるもの」について考えていて、今回の映画化では、私が原作で好感を持っていた部分がほとんど捨象されていて、かつ挿入されたシーンも見せたいシーンを撮るためにキャラクターの性格を捻じ曲げるようなシーンに思えてウッ…っとなってしまった。

ちなみに冒頭のシーンが映画では土砂降りの中を駆ける黒馬の映像になっていて、鑑賞初っ端から「え、これ原作読んでない人は意味わからないんじゃない?」と戸惑った。シーンの切り取り方も繋げ方も好みと合わなくて(この記事で言いたいのは一貫して映画が私の好みと合わなかったということ)、そこ切るの?!そのシーン何?!?!みたいな気持ちになってしまってシュンとした。

個人的に亜夜の友達の奏ちゃん(?)が亜夜のコンクール用のドレスを貸してくれるシーンや亜夜が明石さんに「明石さんのピアノ好きです」ということを言うシーンが好きだったのでばっさり無くなっててかなしかった。

風間塵の蜜蜂王子描写もほとんど全くなく、音大で塵の弾くピアノに亜夜が影響を受ける場面もなく、ボロい靴の人描写から急に亜夜の後をつけて工場?に現れる描写なので端的に言ってヤバい。

マサルにしたって最初の対面で「あーちゃんじゃない?」「もしかしてマーくん?」という会話がなされ情緒とは…と思ってしまった(出会って3秒で合体か?)

そんなこんなで風間塵とマサルと亜夜の交流はお情け程度にしかないのに急に3人(+2人)で海へ行く(なぜ?)。頭がオーバーヒートである。

春と修羅」のカデンツァにしても原作では「何個か思いついているけどどれを弾くかは決めてないの」という亜夜の言葉に亜夜の天才性が現れていて「私はまだ神様に愛されているだろうか」という帯を彷彿とさせアツかったのに、映画になると「考えたけど全部没、直前の風間塵による演奏を聴いて即興でカデンツァを弾く」という描写に変わっていて、そういう些細な差し替えに監督と私の解釈の違いが感じられてダメだった。

決定的だったのはコンクールのファイナル、亜夜はコンクールを棄権して会場を去ろうとする。そこでピアノの音?が聞こえてきて(作中2度目の描写)コンクールに戻るというシーンなのだけれど、なんかもう違うやん!!!という気持ちが止まらなかった。塵やマサルといったピアニストとの交流で亜夜は自分の過去やピアノ、ひいては世界と向きあえるようになったのに、映画の描写だと単に亜夜がメンタル弱くてスピリチュアルなナイーブ少女のような行動を取らされていて違和感を拭えなかった。私にとっての亜夜は、繊細な部分もあるけれど、芯が通っていて豊かな感受性を持った太い人物だったのに、映画の亜夜は吹けば飛ぶ紙か?ってくらいペラッペラだった。細くて弱くて、苦悩しているのは分かるけど全て亜夜の内側で閉じてしまっている。松岡茉優さんの意思の強そうな外見でなんとかギリギリ原作のキャラを保っているような、そんな印象だった。

 

原作を読んでいるから違和感を感じながらもシーンの繋がりを補完して映画を観ることができたけれど、原作を読んでいない人が映画を観たらどんな感想を抱くんだろうと感じた。

原作を読んでいなければ面白かったのかもしれない。あれはあれで一本の映画として完成されていて、むしろ数百ページある厚い物語を良く破綻させることなく2〜3時間に落とし込めたなと思う。

でもな、やっぱり解釈違いなんだよな。映画では人の繋がりが希薄でコンクールの結果に説得力がないように思えた。映画のラストでコンクールの結果が表示されるのだが(ここは原作に忠実なんだな)、頭の中が???だった。説得力は細やかな描写の積み重ねの上にあるものなんだなと思った。

 

体裁も文体も整えることなく「監督と原作の解釈違いだった」ということをつらつら書いてきたわけだけれども、役者の方はみなさんハマり役で表現も上手かったと思う。

とりわけ亜夜と塵が工場?の窓から差し込む月明かりに照らされながら『月光』を連弾するシーンは美しかった。あれを観るためだけに表参道の小洒落た店で小洒落たランチを食べられるくらいのお金を出す価値があります。本当に。

 

原作好きな人には勧められないけれど、松岡茉優さんを好きな人には胸を張ってお勧めできる映画でした。

 

 

これは完全に余談ですが、仕事/学校終わりにちょうどいい開始時間かつレディースデーだったのに500人は入るであろうシアターに10人ほどしかお客さんがおらず、映画産業の衰退を見た。地方都市の映画館やべえな。採算取れてないだろうな。

今はプライムビデオもあるしNetflixもあるし、そこそこ新しいタイトルも月額いくらで見放題の時代なのでわざわざ映画館まで足を運んで1800円払うのはよっぽど好きじゃないとできないよなあ。大画面も音響も家では味わえないけれど、そこに1800円払う価値があると考える人は少数じゃないのかな。

 

余談の余談だけど上映前の注意喚起で「音の出る食べ物は控えてください」って言うのに映画館で売るのはポップコーンなの不思議だ。なぜポップコーンなのか?調べる元気はないです。

 

明日も仕事なのでおやすみなさい。

 

 

『小川洋子の偏愛短篇箱』を読んだ

運転免許の更新に行こうと思っていた。3年前のちょうど今日、指導教官が「誕生日おめでとう」と言いながら運転免許を渡してくれて、誕生日に免許を更新するのもいいなと思った。

 

昨日届いたばかりの新しいアイシャドウを下ろし、お気に入りのチークとグロスを塗り、高円寺で買った古着のワンピースと小ぶりな揺れるイヤリングをつけた。バスの時刻表を眺めてダラダラしているうちにバスに間に合わない時間になってしまい、家で1日だらけて過ごすか迷ったけれど、行ってみたいリサイクルショップがあったので家を出た。本棚が欲しかった。

 

リサイクルショップに着くと想像していたような大きな本棚はなく、3つ先の信号を曲がったところにもう一件リサイクルショップがあると教えてもらったので向かうことにした。

その道中、左耳のイヤリングを落としていることに気づいた。軽くて着けている感覚がないところを気に入っていたのだけれど、落としても気づかないのは難点だった。歩いた道を引き返し、30分ほど探したけれど見つからなかった。好きな人とのデートのために買ったイヤリングだったので、デートの思い出まで失くしたような気がして悲しかった。

 

教えてもらったリサイクルショップに着くとさっきのお店以上に家具がなく、薄暗く、雑多だった。店内を一周してお店を出て、せっかくなので本でも読みに市街地まで出ることにした。

見慣れた通勤路に親しい友人の名字を冠した喫茶店を見つけてバスを降りた。古道具店と兼ねた店内は薄暗く、小さな音量でジャズが流れていて、売り物の骨董時計が刻む秒針の音がコチコチと響いていた。天井には風鈴が吊るしてあり、時折小気味よくリンと鳴らしてみせた。

 

小川洋子の偏愛短篇箱』は田辺聖子さんが亡くなった際に知った本だ。横光利一の「春は馬車に乗って」が好きなのだけれど、同じく「春は馬車に乗って」を好きな友人が田辺聖子さんの訃報に際して読んでいたのが「雪の降るまで」だった。奇しくも『小川洋子の偏愛短篇箱』には「春は馬車に乗って」もおさめられており、きっと面白いだろうと読みたかった本だった。

店の亭主は穏やかな風貌で、それが古めかしい店内とうまく調和している気がした。アイスコーヒーは冷たく、程よく苦かった。

帰りがけに、店内に並べられていた日傘を買った。近くのお店で売られていた手作りの傘らしいのだが、店主が亡くなり縁あって置くことになったらしい。開くと祖父母の家のような香りがして、それがなんとなく死を連想させた。

 

田辺聖子さんの概要欄には生まれ年しか記されていなくて、それが亡くなってからあまり時間が経っていないことを感じさせた。

 

誕生日が来ると、とある友人のことを思い出す。「私ね、枕草子の○○段(何段と言っていたか忘れた)が好きなの。本によって段数は違ったりするけれど、『ただ過ぎに過ぐるもの』の段。短いから後で読んでみて」と言っていた。「私が何もしなくても時間は流れていくのよ」と零した顔に浮かんだ表情が安堵だったのか諦念だったのか思い出せない。

 

ただ過ぎに過ぐるもの。帆かけたる舟。人の齢。春・夏・秋・冬。

 

夏ももう終わる頃、一つ歳を取り、ただ過ぎに過ぐるものだなあと思う。「小説よりも現実の方がよっぽどかなしいから、楽しい話しか読まないの」と言っていた彼女は元気にしているだろうか。

彼女は「雪の降るまで」の似和子にどことなく似ている気がする。